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小林光恵さんの「こちら、ナース休憩室別館」
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こちら、ナース休憩室別館 第43回  2007/12
心配
第43回:心配
 鹿児島市内の某マンション。その最上階に看護師の楠田真奈美さん(29歳)と彼女の母の弓子さんの自宅があります。
 日曜日の夕方。真奈美さんと弓子さん親子が、自宅の食卓に向いあって座り、すっきりした表情で、ククク、アハハハと笑いながら、クイニーアマンというパンを食べています。
 ついさっきまでつかみ合いの喧嘩をしていたとは思えない、和やかな二人です。

 いまから一時間前。
 真奈美さんが帰宅するなり、自宅の居間にいた弓子さんに、不機嫌な様子で言いました。
「いたの? 何回も電話したんだよ。なんで出なかったの」
「昨日からちょっと出かけててね、今日の昼過ぎに帰ったのよ。うっかり、るす電にするの忘れちゃった。それに、真奈美がセミナーだの学会だので泊りがけで出かけたときって、どうせ、外から電話くれることなんかないんだからさ」
「いつもだと、何かを疑っているかのように、うるさいくらい母さんは私の携帯に電話よこすでしょ。この土日は一回もないから、なにかあったのかもって心配になって何度も電話したんだよ!」
「心配?」と言って弓子さんは娘の真奈美さんを横目でちらりとみます。「心配ねえ…真奈美は私にいつも要らない心配しないでって言ってるけど、今回は真奈美が母さんに対して要らない心配したわけね、気まぐれに心配してくれてありがと」
「なによ、その言い方! 母さんってさ、正確にいうと、私をいつも心配しているんじゃなくて、いつもいつも娘の私を詮索しているだけじゃない。自分が若くして結婚したからなのかもしれないけど、まだ結婚していない私を異常な人間みたいに見てるでしょ。母さんは、なんでも自分の価値観を押し付けるんだから。この際だから言うけど、残念ながら私は母さんの希望通りにはならないと思うよ」
「詮索だなんて…。真奈美ったら、家に帰れば、疲れて青白い顔で寝ているばかりで、出かけるといえば看護セミナーや学会だけでしょ。どんな親だって心配するわよ」
 弓子さんは、娘の真奈美さんが、数年前から、月に一、二度、大阪や東京に泊りがけで学会やセミナーに参加するようになったことを疑問に思っていました。学生時代に寝る間を惜しんで勉強し、その成果として看護師免許を取ったのです。加えて、病院勤務を何年もしているのですから、看護師としての知識と技術は十分のはずで、どうしてそんなにも新しい勉強をしなければならないのかわからないのです。また、費用は参加費も交通費も自腹であり、毎月何万円も自分の給料から捻出している点も解せません。年頃の女性なのだから、もっと遊びやオシャレにお金や時間を使うのが自然なのではないか、このままでは結婚とも縁遠くなってしまうのでは、と弓子さんは思っていました。
 最近になって弓子さんは、真奈美さんが月に一、二度出かけるのは、ほんとうは学会やセミナーではないのではないか、と考えるようになりました。遠距離恋愛、それももしかして道ならぬ恋…。だから、あれこれ訊いても返事は面倒くさそうに「東京でセミナーだから」程度なのでは、と。
 弓子さんは心配がつのり、実は、この土日に真奈美さんが宿泊する東京のホテルに彼女も宿泊予約したのです。ほんとうにセミナーに参加しているのかどうか確認したいと考えていました。しかしホテルまで行って、娘を信じていないことになる行動はやめたほうがいいと考え、別のホテルに一泊し、早々に帰ってきたのでした。仕事のために勉強に取り組んでいる娘を一瞬でも疑った行動をとったことを反省もしました。
 ソファの上に置かれたままになっていた弓子さんのコートを、真奈美さんが「ちゃんとかけといてよー」といいながらハンガーにかけたとき、そのコートのポケットからレシートが落ちました。何気なく拾ってそれを見た真奈美さんは、目を吊り上げました。「なにこれ! これって、母さん、私の行動を…」
 そのレシートは、真奈美さんが宿泊したホテル内のカフェのものでした。弓子さんは、ホテルの宿泊予約をキャンセルして別のホテルに向かう前に、そのカフェでコーヒーを飲んだのです。
 これをきっかけに、険悪なムードが大喧嘩へと発展したのです。大声で相手を非難し、日ごろの不満をいい、しまいには取っ組み合いになり、髪を引っ張り合い…。
 そうしてさんざんやりあい、二人とも息があがってきたころに、なんとなく二人は相手から手を離しました。そして、弓子さんがバッグの中からパン屋さんの袋を取り出し、「あんたの好きなクイニーアマン、買ってきたのよ」と差出しました。
 すると、真奈美さんもバッグからパン屋の袋を取り出し、「あら、奇遇。母さんの好きなクイニーアマン買ってきたのよ」と差し出したのです。
 クイニーアマンは二人の大好物。フランスのブルターニュ地方発祥のパンで、バターを何層にも折り込んだパイ生地の上に、とかした砂糖や蜜(焦げてキャラメル味になっている)をコーティングしたつくりです。
 二人は目を丸くして顔を見合わせ、「早く食べなきゃ。今日中にお召し上がりください、のやつだものね」「そう」と言って、クイニーアマンにぱくついたのです。

 弓子さんがいいます。
「喧嘩してこんなに笑ったの、久しぶりね」
「たしかに。前は、しょっちゅうだったけど、父さんが死んでからは、今日がはじめてかもね。とすると5年ぶりだね。たまには喧嘩するのもいいね、カロリーを気にしないで好きなものを食べるのも」
「ほんと、またダイエットすればいいもんね」
 二人は顔を見合わせてまたククク、アハハと笑い出しました。
小林光恵

新刊 改訂版 ケアとしての死化粧
小林光恵 こばやしみつえ
小林光恵のホームページ http://www003.upp.so-net.ne.jp/furakoko/

 茨城県生まれ、東京警察病院看護専門学校卒業。看護師として東京警察病院、茨城県赤十字血液センターに勤務。その後編集者を経て独立。現在は執筆を中心に活動している。
マンガ 『 おたんこナース 』、日本テレビ系列 『 ナースマン 』原案者。
著書に 『 ナースのおしゃべりカルテ 』(幻冬舎文庫)、『 12人の不安な患者たち 』(集英社文庫)、『ケアとしての死化粧―エンゼルメイク研究会からの提案』(日本看護協会出版会)『 こちら、ナース休憩室 』(PHP研究所)等多数。

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小林光恵・エンゼルメイク研究会 編著
出版社/日本看護協会出版会
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