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小林光恵さんの「こちら、ナース休憩室別館」
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こちら、ナース休憩室別館 第33回  2007/2
搬送用エレベーター
第33回:搬送用エレベーター
 A病院の内科病棟には、ナースステーションのそばにエレベーターが三基あります。一般用の小ぶりのものが二基、ベッドが入るサイズの搬送用の大きなエレベーターが一基。

 午後。患者の北野啓一さん(45歳)が、廊下をはさんで搬送用エレベーターと対面するように置かれている革張りのソファに、身体を沈め、眼を閉じ、腕組みをしています。
 彼は、肝臓を悪くして、二週間前に入院。一週間ほど前からは、点滴と食事、検温などの用事がなければ、搬送用エレベーター前のソファで過ごすようになりました。彼と同じ病室の患者さんたちは、話をできる状態ではない重症者で気を使うし、かといって、安静が大きな治療のため医師からは他の階へ出歩くことは禁止されており、気を使わずに座っていられる場所というのがエレベーター前のソファだったわけです。
彼は、目を閉じたまま、心の中でつぶやきます。
 と、エレベーターが到着する直前の「ピン、ポン」という控えめな音が響き、北野さんは、目蓋をうすく明け、閉じてしまいます。搬送用ではなく一般用のエレベーターの到着だとわかったからです。彼は、搬送用エレベーターが開くときだけに、目を見開いて確認したいのです。

 ここのソファに座りはじめたころ、彼はいまよりも倦怠感が強く、発熱も続いていたためか、起きていても少し朦朧としているような気分でした。そんな状態で搬送用エレベーターが開くのをぼんやり眺めていたら、ドアが開くたびに、いままでの人生の忘れていた一場面が、映画のワンシーンのように、エレベーターの四角い箱の中に浮かんだのでした。小学生3年のとき、忘れ物を取りに走って帰る途中ですれ違ったサーカスの宣伝カー、近所の同級生が文房具店のボールペン売り場で真剣に試し書きをしているところ、トイレ掃除したあとのなぜか機嫌の悪い母、などなど。

 ソファに座りはじめて三日目ごろからは、搬送用エレベーターから出でくる、あるいは乗り込むベッド上の人たちの様子がくっきりと現実として目に入ってくるようになり、検査室に行くらしい中年男性の家族構成を想像したり、他の階から移ってきたらしい若い女性につながっている点滴ボトルのラベルをチェックしてどんな病状なのか予想したり、売店に買い物に連れていってもらったらしい車椅子上の高齢男性の人生を想像したり、白衣の男性に押されて出てきた、大きくて重そうなポータブルのレントゲン機械に圧倒されたり、シーツ類をどっさり積んだワゴンを押して乗り込む中年女性の悩みごとを想像したりしました。たまに、搬送ではなく自分一人の移動のために搬送用を使って降りてきた白衣の男性と目があったりもしました。

 おととい。北野さんは、いつものようにソファに座って眼を閉じ、こんなことを考えていました。
 <ここに座っているのも、飽きてきた。しかし、病室のベット上で一日じゅう過ごすのは、どうしても息がつまる。普段はあんなに好きな読書も、だるくてそんな気になれない。担当医は、まだ、ほかの階まで歩くのはだめだというし。仕方ない。テレビのリースでも申し込んで、ぼんやり眺めているとするか>
 そこへ、エレベーター到着直前の「ピン、ポン」が。彼が目を薄く開けると、搬送用エレベーターのドアが開きます。眼をちゃんと開いて、乗降者を確認しようとすると、乗る人も降りる人もなく、エレベーターの箱の中はからっぽでした。こういうことはときに起こるものです。乗る人が、全部のエレベーターの▲か▼を押して待ち、いちばん早くきたものに乗っていったときや、ほかの階で乗り込んで、間違って(またはいたずらで)この階を押し、先に別の階に降りてしまったときなど。
 しかし、北野さんは妙だと思いました。
 <たてつづけに、何度も空の搬送用エレベーターがこの階に止まった。しかも、ランプの点灯でエレベーターが何階にいるかなど確認していると、間違って押してしまったようには思えないし、かといっていたずらなら、適当に階を押す、あるいは全部の階を押すのではないだろうか。なぜ、この階だけ押すのだろう>

 昨日の午後も、立て続けに、数回、空のエレベーターがこの階に止まり、昨晩、彼は変な夢を見たのです。先立った彼の奥さんの霊が、車椅子に乗って、北野さんのお見舞いに、搬送用エレベーターに乗ってきているのが空のエレベーターだった、奥さんはエレベーターに乗ったままにこにこしながら「ここからは出ないからね。幽霊だから、ここから出ちゃいけないと思うの。あなた、早くよくなってね」といって手を振り、ドアがしまった、という夢。

 そして北野さんは、今日、担当医の言いつけをやぶり、例の空エレベーターが止まったら、そこに乗り込もうと決めたのです。どうしても、その空エレベーターの中に入ってみたくなったのです。
 と、「ピン・ポン」が鳴り、搬送用のエレベーターのドアが開きます。中は空です。
 彼が足早にそのエレベーターの中に乗り込むと、人がひとりいました。ソファからは死角となる位置に、壁に張り付くようにして、パジャマ姿の男の子がいました。北野さんの姿を見て、驚いたような不安なような顔をして。

 その二日後、この男の子は小児科病棟に入院中で、北野さんの階に勤務しているナースの子供さんだということがわかりました。それが判明して北野さんは、いよいよテレビのリースを申し込んだのでした。


小林光恵

新刊 『伊勢丹セラピー』
小林光恵 こばやしみつえ
小林光恵のホームページ http://www02.so-net.ne.jp/~n-three/

 茨城県生まれ、東京警察病院看護専門学校卒業。看護婦として東京警察病院、茨城県赤十字血液センターに勤務。その後編集者を経て独立。現在は執筆を中心に活動している。
マンガ 『 おたんこナース 』、日本テレビ系列 『 ナースマン 』原案者。
著書に 『 ナースのおしゃべりカルテ 』(幻冬舎文庫)、『 12人の不安な患者たち 』(集英社文庫)、『ケアとしての死化粧―エンゼルメイク研究会からの提案』(日本看護協会出版会)『 こちら、ナース休憩室 』(PHP研究所)等多数。

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