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「イラスト:影山直美」

小林光恵さんの
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第5回
 入院生活時の贅沢とは

                          @ ← A

 消灯時間や面会時間が決まってないのがいい、とか、いちいち尿を貯めたりしなくていいのがいい、とか、病棟独特の臭いがなくなったらいい、とか、贅沢というよりも病院への希望といったほうがいいような意見もたくさんでました。
 客Aさんが、聞く一方だった理容師さん(男性)にこう言いました。
「お兄さんは、どう思う? 健康そうだし、考えたこともないだろうなあ」
「あっ、えーと、まあ、そうっすねえ……あっ、でも、贅沢で思い出したんですけど、じいちゃん、いや、ぼくの祖父が入院してたとき、一度だけ<頼むから一つだけ贅沢をさせてくれ>って懇願したことがあるんですよ」

 彼のおじい様は、亡くなるひと月ほど前に<お風呂のお湯に首まで浸かりたい!>と言ったというのです。週に一度は病棟の浴室で、寝台に横たわったままお湯に入れる式のお風呂にスタッフ数人の手を借りて入っていたのですが、おじいさまとしては、普通に湯船の中にしゃがんでお湯に首まで浸かりたい、と強く思ったようなのです。入院生活の不満など一度も言ったことがない彼の希望をかなえてやりたいと思った家族は、病棟のナースに打診。
 理容師さんがつづけます。
「酸素は外せない状態だったし、病状とか、看護婦さんの人数とか、いろいろな関係で到底無理って言われたんです。それで祖母はあきらめるしかないと思ったようなんですが、祖父は<首まで浸かりたい>の一点張りで」
 それを受けて、お客のお父さんたちが順にしみじみと言います。
「おじいさんの気持ち、わかるなあ」「うん、わかる」「わかる」
 すると、理容師の彼。
「そのころぼくはまだ小学生で、正直、首まで浸かりたいっていう祖父の気持ちはよくわからなかったんですけど、自分に厳しい祖父があれだけ言うんだからかなえてあげたいと思いました。けど、ほんと、状況として困難なことだったらしくて」
 客のお父さんたちのため息が聞こえてきました。
「で、おじいさんは、結局、首まで浸かれないでしまったの?」と客のお父さんのひとり。
「それがですね。実現できたんですよ。看護婦さんや担当医の先生らが、決行の日を二週間先くらいに決めて、祖父の希望をかなえるために人員のやりくりとか、何度もシミュレーションとかいろいろやってくれまして。祖父は、首まで浸かることができて、あー、って、なんとも言えず気持ちよさそうな声を出したそうです。何度も、あー、って言って」
客のお父さんの一人が「よかった!」と言って拍手をするとほかのお父さんも拍手して「そうか、よかった」の声。私も安堵のため息がもれました。
 理容師の彼が業務用の声で客のお父さんに聞きます。
「カットが終わって、このあとは、肩のマッサージのあと、毛穴掃除か顔剃りになりますが、今日はどちらに致しましょうか」
「う、うん。今日はさあ、マッサージもそのあとの毛穴も顔剃りも、いいわ。やめとく」
「え? どうしてですか? サービスですけど」
「いやー、君のおじいさんの話聞いてさ、なんだか俺、贅沢しすぎな気がしてきちゃってさ。君のおじいさんに申し訳なくなってきて」
「そ、そんな、関係ないっすよ」
「いや、今日はいいわ」
 そう言って、そのお父さんは会計をして帰っていきました。さらに、あとの二人のお父さんも同じようにサービスを受けずに帰っていったのでした。
 お父さんたちの気持ち、わかる気がしました。

小林光恵

新刊『ケアとしての死化粧ーエンゼルメイク研究会からの提案』
小林光恵 こばやしみつえ
小林光恵のホームページ http://www02.so-net.ne.jp/~n-three/

 茨城県生まれ、東京警察病院看護専門学校卒業。看護婦として東京警察病院、茨城県赤十字血液センターに勤務。その後編集者を経て独立。現在は執筆を中心に活動している。
マンガ 『 おたんこナース 』、日本テレビ系列 『 ナースマン 』原案者。
著書に 『 ナースのおしゃべりカルテ 』(幻冬舎文庫)、『 12人の不安な患者たち 』(集英社文庫)等多数。


小林光恵 新刊
『ケアとしての死化粧―エンゼルメイク研究会からの提案』(日本看護協会出版会)

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