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小林光恵さんのこちら、ナース休憩室別館小林光恵(こばやしみつえ)プロフィール

こんにちは、小林光恵です。
皆さんとナース休憩室で
雑談しているときのような気持ちで、
つれづれに書いていきたいと思っています。

第159回 観覧車 2017/9
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 9月1日。快晴です。
 広大な花畑を何面も有する海辺の公園の一角に、てっぺんが海抜100メートルの高さとなる観覧車が建っています。
 そのゴンドラに、高齢の男性が若い男性に抱きかかえられて乗り込んでいます。内山田泰助さん(82歳)です。彼をかかえているのは磯田順一さん(27歳)。
 この二人に女性三人が続きます。泰助さんの妻の未知さん(80歳)、石川みどりさん(24歳)、黒岩茉利奈さん(21歳)です。
 内山田夫妻以外の若者の三人は、夫妻のいわゆる外孫です。作業療法士の順一さんは次女の子ども。看護師のみどりさんは三女の子ども。看護学生の茉利奈さんは五女の子どもです。
 一週間ほど前、祖母の未知さんからみどりさんに電話がかかってきました。
「だからね、どうしても来てほしいのよ。みどりが好きな瓜の漬物はいっぱいあるし、お刺身だってたんまり用意するから。いま、休暇中なんでしょ。お正月にもお盆にも来なかったんだからさ、顔見せてくれなくちゃ。頼んだよ!」
 順一さんと茉利奈さんにも同様の電話があったのでした。
 脳卒中の後遺症で左半身麻痺がある泰助さんはリハビリに消極的です。それに気をもんでいる妻の未知さんに泰助さんは突如「観覧車に乗ったらリハビリをがんばる。9月1日に乗る」と言いだしたのです。
 日頃担当してもらっている訪問看護師、介護士、理学・作業療法士らは観覧車乗車の付き添いの対応は公的な医療保険や介護保険サービスではできないとのこと。それで担当のケアマネジャーからそのときだけの全額自己負担の看護師付き添いサービスの案内があり、未知さんがその費用を奮発して依頼しようとしていたところ、泰助さんが孫の順一さん、みどりさん、茉利奈さんに付き添ってもらう、と言いだしたのでした。
 孫の三人は、昨日の早くに内山田家に集結し、泰助さんの主治医や訪問看護やリハビリの担当者とも連絡をとり、付き添い計画を立て、今日の日を迎えました。
 昨夜のおそく、三人と内孫の民雄さん(29歳)の四人は台所のテーブルを囲んでビールを飲みながらあれこれ話しました。
「じいちゃん、もしかしてオレら三人を励まそうとしているのかな」
順一さんが言いました。 
「たしかにね」
「うん」
 みどりさんと茉利奈さんが目を合わせて小さく頷きます。
 招集された三人は、目下、それぞれに躓いているのです。順一さんは職場の同僚と対立して退職し、今後の進路を決めかねています。みどりさんは、三ヵ月前に、心電図モニターのアラームが鳴り続けている病棟に異動となり、ノイローゼ気味となり、現在長期休暇中です。茉利奈さんは臨地実習中に患者の吐物のにおいに出会ったのをきっかけに、看護師という仕事に向いてないのではないかと悩むようになり休学中です。
 内孫の民雄さんがいいます。
「内孫、外孫あわせて総勢18人もいるんだから、なんでその中からこの3人が選抜されたかと考えると、たしかにそうかもね。医療関係ならほかにもいるんだから」
「でもさ、どうしてまた観覧車なんだろう。じいちゃん、嫌いでしょ」
 順一さんがいって、みなうなずきます。彼ら孫たちは、小さなころから車で30分ほどの観覧車によく泰助さんに連れて行ってもらったのですが、泰助さんはいつも乗りはせず地上で孫たちを仰いでいたのです。
「苦手なことに挑戦するところを見せて、私たちを励ましたいとか」
 茉利奈さんが言いました。
「さあ、どうだろ」と民雄さん。「無口だし、最近とくに頑固になったから、理由を聞いたって言わないだろうし」
 とにかくは、大切な祖父の希望にしっかり応えよう、という話になりました。
観覧車が静かに動きだします。一周約15分のフライトのはじまりです。順一さんは泰助さんの姿勢を正し、みどりさんは泰助さんの血圧を測定します。このところ血圧がやや不安定なのです。
「ほら、じいちゃん」
 未知さんがストローつきの飲み物を差し出します。泰助さんはそれを少し飲むと「甘い」としわがれた声でぼそりといって、向かいに座る未知さんに付き返します。
「な、なによ! 好きでよく飲んでるりんごジュースでしょうが。水分とらないと具合悪くなっちゃうでしょ。そこらの自販機の缶のやつでは冷たすぎるし飲みづらいからと思ってわざわざ持ってきてるのに。だいたい、いま、誰のわがままに付き合ってるっていうのよ。急に孫を呼びつけて。そして偉そうに、甘いだのなんのって」
「………」
「あっ、まただんまり。嫌んなっちゃう」
 泰助さんのダンマリと未知さんのがみがみはいつものことで、三人の孫は気にしません。みどりさんが持参した水でリンゴジュースを薄めて、泰助さんに水分補給をしてもらいます。
 ゴンドラは次第に高くなります。
 未知さんが、目を閉じている泰助さんに気づきます。
「あっ、なんでせっかくの景色を見ないのよ。高いところは好きじゃなくても、乗りたいって言った当人が目をつぶっちゃうのはおかしいでしょ!」
 ゴンドラは着々と高くなり、あちこちの花畑が次第に小さくなってゆき、海や遠景が見えてきます。
 未知さんのガミガミ、目を閉じた泰助さんのだんまりがつづきます。
 孫の三人は広がる景色に目を思わず奪われます。順一さんが「すごいな。ほんとにすごいな」とつぶやき、みどりさんと茉利奈さんがぽかんと口をあけたままこっくりとうなずきます。
 しばし時間がたちます。
 そしてゴンドラがてっぺんにさしかかったそのとき、ふわりと何かが動いた気配があると同時に、「未知」という泰助さんの声。三人が振り向くと、未知さんが倒れています。そしてなんと泰助さんが立ちあがっています。
 みどりさんと茉利奈さんは即座に未知さんの観察。脱水の可能性が高いと判断してそのケアをし、順一さんは泰助さんが座位をとるサポートをします。
 フライトが終わるころに容態のよくなった未知さんは、なぜか涙ぐんでいました。そしてがみがみ言わないのでした。彼女は、くらくらして倒れた瞬間に思い出したのです。とおい昔、泰助さんとはじめてデートしたのが9月1日だったことを。そのとき小さな観覧車に一緒に乗ったことを。そしてそのとき、ゴンドラの中で目をつぶったまま泰助さんが「いつかきっともっと大きい観覧車に乗せてあげますから」と言ったような気がしたのでした。

 孫の三人は、リハビリではスムーズに立位になることが難しい段階の泰助さんが、「未知」と呼びながらすっくと立っていたことを「愛だね」「最高の励ましになった」などとさんざん語りあったあと、帰っていったそうです。

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