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今月のコラム第42回  2006/10 嵯峨崎 泰子
コーディネーター的なマインドが医療を変える
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■医療の高度化・複雑化が進行する中で、重い病気の方やご家族の医療への関わり方はますます難しくなっているようです。そんな中で注目を浴びているのが、患者さんの立場で医療者と交渉をしてくれる医療コーディネーターの存在。今回は、医療コーディネーターの文字通りの草分けである、嵯峨崎泰子さんにおうかがいしました。
今月のコラム:第42回 日本医療コーディネーター協会 理事長 嵯峨崎 泰子 さん
【 医療コーディネーターという職業ができたきっかけ 】
 そもそも私が医療コーディネーターになったきっかけは、10年前、自分のがん治療の後の療養期間中に、友人の父親の治療の決定に関わったことでした。私はもともと臨床看護師をしておりました関係で、友人が「身内に医療者がいなくて医師の説明がよくわからない、本人は治療したくないと言っているし、医者を説得するのに手伝ってくれ」と言ってきたのです。
 友人のことなので軽い気持ちで同席したところ、その頃はインフォームドコンセントという言葉もまだ普及していたわけではなく、医師の説明が非常に足りないし、医療者からみると疑問点も何点かありました。医師が、今の言葉で言うと説明義務を果たしていないし、患者は手術をしなければならないと言われた提案に対してやりたくないと言う。お互いの溝が埋まらないわけです。
 そこで説明に同席し、医療者側に本人が手術をしたくないと言っている理由や、先生の説明で足りない部分があるということを指摘しました。この時は、結果的に言いますと誤診を防止することになりました。そして、セカンドオピニオンをとって別の医師のもとで、本人が希望したとおり、他の治療を行なうことで最後の最後まで誰にも迷惑をかけずに一人で生活ができたのです。ご家族は、最後まで本人らしい生活ができたということと、父親らしい生き方を支えるための治療ができたということを非常に喜ばれたんですね。そして、その方が他の患者さんを紹介するという感じで依頼が次々ときたわけです。
 最初はもちろん仕事にするつもりはまったくなかったのですが、口コミで広がっていく中で、見積りを出してくださいとか、請求してくださいということが出てきました。それで、もしかしたらこういう立場というのは仕事になるのかなと思ったわけです。


【 日本医療コーディネーター協会設立の経緯 】
 口コミでクライアントさんが増えて、仲間がほしいなと思っているうちにインターネットが普及してきて、そういう中で知り合う人もでてきました。また、2000年に『生命と医療にかける橋』という本を出したのですが、それを読まれた看護師さんで、自分もそういう活動に参加したいという方が出てきまして、仲間がぽつぽつ増えていったのです。 
 その頃、テレビ局などからも取材の申し込みがあったのですが、メディアの影響は怖いので断っていました。ところが、ちょっとしたきっかけからテレビ朝日のニュースステーションが密着取材を始めたのです。最初はそういうつもりはなかったのですが、結果的にニュースステーションの中で放送枠をとってしまっていて、途中でやめるにやめられないことになってしまったのです。これは放送されるとたいへんなことになると思いまして、2003年の2月、番組放送直前に、窓口を一つに絞ろうとその当時の仲間5人ぐらいで急いで協会を作りました。
 そうしましたら、案の定、問い合わせがものすごく来たんです。相談したいという方もそうですが、コーディネーターになりたいという方が200件以上あり、看護職、製薬会社のMR()など、いろんな方からどうやったらなれるのか問い合わせがきました。その時点では養成をするということは考えていませんでしたので、そういうことも考えてご連絡しますということで保留の状態で待っていただき、相談の方を先に受け入れました。そしてやっと去年、法人化して約10名の理事で実質的にスタートしたのです。


【 医療者側が患者さんと同じ目線で歩む視点が必要 】
 病気の人やそれをとりまくご家族は、精神的にも非常に疲弊している状態の方が多いですよね。正常な判断能力を持ち合わせていないということもありますし、やはり医療者の側がもっと変わっていかなければいけないのではないでしょうか。単純に言うと、もっと患者さんと同じような目線に立ってものを考え、フィードバックしながらともに歩む視点が必要ではないかと思います。
 そして、本来それは看護師の仕事だと思っているのですが、やはりどこかに所属している看護師ですと、自分の背負っている立場というのはそうそう切り離して対応することはできません。ケアの質が非常に高いと言われているような都心の病院で治療を受けた患者さんで、納得できずに訴訟を起こしたいといきまいて相談にこられるケースがよくあります。それで、相手側の病院長も含め、いろんな部署と話をしていく中でわかったことは、看護部長さんもソーシャルワーカーも医師もみんな「病院の人」なんです。最終的には患者さんの立場を守るという人にはなれないということを痛感しました。
 それであれば医療コーディネーターとして、フリーランスの立場をとることが意味があると思ったわけです。当然、保険診療ではないのでお金は誰も払ってくれません。患者さんとの契約になり、患者さんから行動費や相談費用をいただかなければならない。それでよければご利用ください、そして看護職として医療職としての本来の活動をし、サービスが提供できればいいということが協会のスタンスとなっています。

【 「治療がこれ以上ありません」、その意味を解説 】
 医療コーディネーターの経験の長い人が扱う患者さんの95%ぐらいは、進行がんの方ですね。私個人でいうとほぼ99%が「治療がこれ以上ありません」と言われた方です。また私の場合、医師からの依頼が半数くらいを占めています。その中の多くは未承認薬を使った治療のコーディネーションのご依頼で、北海道から鹿児島まで依頼があります。患者さんからもこういう薬があるらしいので、使ってくれる先生を紹介してほしいというご相談などもあります。
 患者さんはよく、がんセンターで「もうこれ以上治療はないです」「これからは好きなことをなさって余生を過ごされたらどうですか」、と言われたりします。そうすると、治ると思ってがんセンターへ行ったのにうまくいかなかったということで、怒り心頭で相談に来られる方がいます。しかし、「がんセンターや大学病院は、そもそも研究機関であり教育機関。やれることには実は限界がある。中の先生たちも情報を知っていても、立場上提供できる情報には限界があるんですよ」とお話をしていくと、患者さんもかなり沈静され、これからどうしましょうかということになります。
 もっと治療をしていきたいのであれば、がんセンターさんから診療情報をもらってセカンドオピニオンなり、次の手を考えてくれる先生のところに一緒に行ってみますかというような形で道を作っていくわけです。医療コーディネーターの仕事は、この解説業務がほぼ大半を占めていると言っていいでしょう。
 そういう解説をしていくということが非常に重要なのですが、今の医療システムの中でその時間を割くというのは相当難しい。また、内部の人がいくら言っても患者さんにはすとんと落ちてきません。外部の第三者が言うから、「あ、そうなんだ」という気持ちになれますが、内部の人が言うとそれは自己防衛だととられたりしてしまうのです。


【 医療コーディネーター的なマインドを普及させたい 】
 協会としては、医療コーディネーター的なマインドを持った看護師を養成するというか、そういうマインドを普及させ定着させていくための活動をしていこうと考えています。医療コーディネーターの受講条件として、看護師であって臨床5年以上、かつ30歳以上であることを絶対条件にしていますので、かなりベテランの方がこられます。また、勤務している方が圧倒的に多い。そういう方が学んでいただいたことを、自分の職場に持ち帰ってまず自分から始め、同じような感覚を持って患者さんと接し、医療を行なうということを一人ずつ増やしていきたいと考えているのです。
 今後の協会の方針としては、コーディネーターを増やすということもありますが、病院などに出向いて行って院内教育の中で「コーディネーター的なマインドを持って接するとこんなに医療が変わる」ということを伝えていく、出前学習会みたいな方向にもっていきたいと思っています
 もう一つは、当院のような小さい診療所、コーディネーションクリニックと私たちは呼んでいますが、コーディネーターがパートナードクターと組んで診療する形のクリニックを多く作っていきたいと考えています。私たちと同じようなマインドを持った医師が、地域の中でかかりつけ医として存在し、そこに外来の看護師が密接に関わっていけば、病気の早期発見や早期治療、患者さんが抱えている問題を早い段階で解決していけると思っています。


プロフィール
嵯峨崎 泰子 氏
 看護専門学校、日本女子大学卒業。各科臨床看護師を経て医療専門商社勤務。その間、米国の医療センターで研修を受ける。1995年、自身のがん治療をきっかけに医療コーディネーターとしての活動を始める。2005年、日本医療コーディネーター協会理事長、NPOがん患者団体支援機構副理事長。2006年、医療法人社団ユメイン野崎クリニック副理事長。

主な著書
『生命と医療にかける橋―患者と家族のための医療コンサルタント』(2000年12月、生活ジャーナル社)
『あなたのがん治療本当に大丈夫?−セカンドオピニオンQ&A』(2005年7月、共著、三省堂)
『がんの時代を生き抜く10の戦術!』(2006年7月、共著、三省堂)
『先生、別の医者を紹介してください!』(2006年8月、共著、日本文芸社)
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